嫌な上司の重要性
 嫌な上司というのはどうやら必要なんじゃないのかと思えてきた。

 この場合の嫌な上司とは、厳しい上司がベストだけど「美味しんぼ」の「富井副部長」みたいな、ただ嫌味なだけの上司でもまぁ可。

 人を怒るのは心が疲弊するから、したくないじゃん。
 例えば外食してものすごく不味かったら、店に文句は言わないけど2度と行かない。

 その店の為を思うなら「不味いよコレ」といってやった方がいいんだろうけど「ウチの味が解らぬ客はくんな!」とか逆切れされるかもしれないし、もしかするとこっちの舌の問題かも知れないし。
 その店がツブれたら替わりに旨い店が建つかも知れないから、わざわざ指摘するのもナニだと思ってしまう。

 しかし、店に関してはそれでいいと思ってるんだけど、仕事だとそうも行かないのが厄介。つぶれられちゃ困るから。


 ちょっと説明すると。
 基本的に人は失敗からしか学ばないと思ってる。
 成功しちゃうと結果オーライで何故成功したかを吟味しないし、強烈な成功体験は逆に目を曇らせる結果になる。
 失敗して痛手を負うことで、2度と同じ過ちを繰り返さないでおこうと、心に刻むし、試行錯誤する。だから失敗は成功の母なんでしょうな。

 で、あるからして「失敗した時にそれをちゃんと怒って失敗であると認識させる」そういう役割の人が必要なんじゃないのか。
 バグりました。
      →バグは出るもんだから仕方がないよ。
 スケジュール遅れました。
      →タイトだったから仕方がないよ。
 遅刻しました。
      →昨日遅かったから仕方がないよ。

 あ、確かに、簡単にダメ人間が出来上がりそうな気がする。
 怒るのって非常に嫌だから、普通の人は怒りたくない。ナチュラルに怒れる富井福部長みたいな性格の人は必要なんだな。なんであんな人が副部長かという謎が解けた。実は逸材。

 そういった事情を考えると、人同士の関わりが希薄な現代ではちゃんと怒ってもらえる状況の方が少ないんじゃないだろうか。そういう意味で怒られ慣れてない人も多いから余計怒るのも嫌になるとか。

 ああ、子供の頃に両親に怒られまくっといて良かった。でも後片付けは最後まで出来ませんでした。(ダメじゃん)

 そんなわけで、怒ってまで人の成長の為に悪役するのは嫌だというのは本心なのだけど、どうにもそれだと、社会人として欠点を抱えた人を量産してしまう。社会不適合は俺だけで充分なので、ちょっとは怒らなきゃ。とか思った。




 とは言え、怒るのは権限と権力のある人間の仕事だと思うので、どうにかして欲しいよなー。
(怒るという行為は、反感を持たれても安泰なポジションでないと、コストが高すぎる)
 俺なんか、いつの間にか形だけ権限と権力あることにされてるから大変不愉快だ。


 今気づいたら、前回のエントリ書いてから1週間も立ってるよ!
 そして前回も今回も仕事ネタかよ!
 どんだけ忙しいねん!

2007/09/09(日) 02:13:23| 固定リンク|仕事| トラックバック:0 | このエントリーを含むはてなブックマーク|
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