■上手いダメ出しとは何か
仕事の話である。ゲーム開発現場におけるよくあるヤツ。
もちろん他の仕事でもあるだろう。
今回は「上手いダメ出しとは何か」というお話。
仕事の話である。ゲーム開発現場におけるよくあるヤツ。
もちろん他の仕事でもあるだろう。
今回は「上手いダメ出しとは何か」というお話。
シンゴジラにおいて、庵野総監督は現場にダメ出しをしまくりすべての現場を敵にし四面楚歌の中で映画を完成させたが、その映画の評価が高かったことによって、批判していた現場は手のひらを返したという。
ダメ出しというのは、出すのは簡単、それをやり続けるのは困難。出される方は地獄。
スケジュールを鑑みないダメ出しは、万死に値する。といったものである。
しかし必要なダメ出しというのはある。
『この方向でこのまま進んではダメだ』
というようなものは、ダメ出しを入れねばならない。
『このクオリティでこのまま進んではダメだ』
ではない。
ゲームは、総合力勝負であり、単体のクオリティを追い回すことには大した意味はない。
全体的に印象に残る部分のクオリティがずぬけていれば、全てのパートが同じようにクオリティを保つ必要はない。
複数の船頭が居るプロジェクトでは、船頭がそれぞれの思い入れ部分のクオリティを上げたがり、結果的に少ないリソースを綱引きで疲弊させてクソゲーが出来るというのは、わりとよくある日常の光景である。
そして、開発の掛け金が跳ね上がった現在、多くのステイクスホルダーがいて誰の意見がどこまで重視されるべきかが複雑になってしまったプロジェクトというのも日常的である。
このようにダメ出しは、良いダメ出し、悪いダメ出しがある。それぞれある角度では正義だが、別の角度では悪である。
まったくもって、正しい事しか言っていないが、
『今それを言うべきでは無い』
『あなたのレイヤーでは
それを言ってはいけない』
というのはあるのだ。
一番ダメなダメ出しとは『俺の脳内と違う』であり、これを何回もやると、やられた方は、ただただ忖度するだけの糞みたいな仕事に工数を取られるようになる。時間の無駄。
さすがに本気でこんなセリフを言う人は少ないが『うーん。何か違う』『この辺もうちょっとこうしてみてよ』的なことはだれでも言う。俺だって言う。しかし言い場所や、扱い方によってはものすごいガンなのだ。
最初にゴールを示さず、延々とfeedbackでダメ出しをするなどは、プロジェクトの士気を削ぐには最適である。
次にダメなダメ出しとは、ミニマムコントロールである。
『このボタンの色はこうがいい。もう3ドット上にして欲しい。』
これによって、誰が見てもクオリティが上がるのであればよい。具体的なダメ出しは悪くない。
だがたいていの場合、間違っている。
『初期に仕様が示されず、
ゴールが示されず、
その上で出来たものに対して、
なぜそう変更を加えたいか
の理由を伝えず』
のダメ出しは
『クソなこだわりに拘泥している』
クソなダメ出しとなる。
ほんとよく出来た言葉である。
ほとんどのダメなプロデューサー、ディレクターはこれをする。ある角度に置いてそれは正義だからだ。
『よくわかった人の拘り』と『へっぽこな人の拘り』は、その姿勢だけを見ていると違いが分かりにくい。最終出力がゴミかそうでないかだけである。
庵野監督は高い評価で『その拘りは必要であった』を示した。
それを示せない、示せなかった場合はそのこだわりは何なのか。
実現でき、成果が出る指示が出来なければ、そのこだわりはゴミなのだ。
ではいいダメ出しとは何か。
つまりその逆をやればいい。
まずゴールを示す。
ゴールとの違いを理由にダメ出しをする。
ゴールを示せないなら、ゴールを示すためのトライアル期間を設ける。複数のものを並べて、そここから欲しいものを見つけ出し、寄せていく。
『ゴールを決めれないプロジェクトは
往々にしてクソである』
まさかー。ゴールも決めずにどうやって走るんだよ。そんなプロジェクトあるのかよ。
有るんですね。
有るんですよ。(強調)
とりあえず、作りながら右往左往するのが、ゲームの作り方だと信じている人はいる。
いまさらそこを変えるのか? を平然とやる人はいる。
かつての自分の成功体験に引きずられ、あきらかに間違った判断を間違ったタイミングでやる人が居る。
『ゴールを決めずに走りだした奴はどこに着くのか』
『一体何に向かって走っているのか』
『地獄に決まってるじゃねーか』
そういう『ゴールを決めねば何に向かって走るのかわからぬ』という意識なしにプロジェクトを上手く転がせるわけがない。
すべてのダメ出しは、ゴールを示してから行われるべきである。
せめて、ゴールを示しながら行われるのが望ましい。
ゴールを示せない船頭は無能である。
ゴールが移動するのは、各種の情勢からして仕方が無い場合があるが、移動する可能性があるからゴールを示さない、は間違っている。
ゴールが分からないなら、まず走っても間違いの少ないゴールを設定して走り出すべきだ。
この辺り日本はハイコンテクスト文化なので「俺の脳内の好みを把握してそれにつくせよ」みたいなのをアリと考える人も居て非常に面倒くさい。
年収3千万の人が細かく説明するのを面倒くさがって、それを年収600万の人がバタバタ埋めるとする。5人以上がバタバタしたら赤字だ。
そういうもったいないプロジェクトの動かし方は意外とよく見る。
ゴールを示せないリーダーは、ゴミ以下。本人が示せなくても示せる部下を置き、そこにまかせるべきだ。
■まとめ
そんなわけで、せめてまずゴールを決める事、そしてダメ出しはせめて建設的であること、この2点が重要だと考える。
ただそういうのは、ちゃんと場数を踏むなり訓練を積まないとできないらしい。
最近の開発が分からない人(昔の開発のまま時計の針が止まっている人)や、重要な嗅覚に欠ける人、ドライブする意思や能力に欠けているが、それに自分で気が付かない人、というのはいて、いかに舵を握らせないかが重要になる。
犬の嗅覚、鳥の視覚の話を書いたことがあるが。
まさにそれなのだ。
わからない人にはわからない。
分かり合える接点だけで、そこを結んで、互いの知覚できない範囲をカバーし合うしか手はない。
人の意見はちゃんと聞こう、ちゃんと飲み込んで考えよう。そのうえでロジックで判断しよう。
書いていて自身の耳の痛い話も多いので、書いて見た甲斐があったと思うが。
それにしても、そのカンの無さでよく業界で生き残ってきたな!という人達との連携の疲弊は半端ないので要注意だ。
発掘されたメモテキストからの書き起こしなので、前に似たようなことを書いているかもしれないが、検索にかからなかったので書く;
ダメ出しというのは、出すのは簡単、それをやり続けるのは困難。出される方は地獄。
スケジュールを鑑みないダメ出しは、万死に値する。といったものである。
しかし必要なダメ出しというのはある。
『この方向でこのまま進んではダメだ』
というようなものは、ダメ出しを入れねばならない。
『このクオリティでこのまま進んではダメだ』
ではない。
ゲームは、総合力勝負であり、単体のクオリティを追い回すことには大した意味はない。
全体的に印象に残る部分のクオリティがずぬけていれば、全てのパートが同じようにクオリティを保つ必要はない。
複数の船頭が居るプロジェクトでは、船頭がそれぞれの思い入れ部分のクオリティを上げたがり、結果的に少ないリソースを綱引きで疲弊させてクソゲーが出来るというのは、わりとよくある日常の光景である。
そして、開発の掛け金が跳ね上がった現在、多くのステイクスホルダーがいて誰の意見がどこまで重視されるべきかが複雑になってしまったプロジェクトというのも日常的である。
このようにダメ出しは、良いダメ出し、悪いダメ出しがある。それぞれある角度では正義だが、別の角度では悪である。
まったくもって、正しい事しか言っていないが、
『今それを言うべきでは無い』
『あなたのレイヤーでは
それを言ってはいけない』
というのはあるのだ。
一番ダメなダメ出しとは『俺の脳内と違う』であり、これを何回もやると、やられた方は、ただただ忖度するだけの糞みたいな仕事に工数を取られるようになる。時間の無駄。
さすがに本気でこんなセリフを言う人は少ないが『うーん。何か違う』『この辺もうちょっとこうしてみてよ』的なことはだれでも言う。俺だって言う。しかし言い場所や、扱い方によってはものすごいガンなのだ。
最初にゴールを示さず、延々とfeedbackでダメ出しをするなどは、プロジェクトの士気を削ぐには最適である。
次にダメなダメ出しとは、ミニマムコントロールである。
『このボタンの色はこうがいい。もう3ドット上にして欲しい。』
これによって、誰が見てもクオリティが上がるのであればよい。具体的なダメ出しは悪くない。
だがたいていの場合、間違っている。
『初期に仕様が示されず、
ゴールが示されず、
その上で出来たものに対して、
なぜそう変更を加えたいか
の理由を伝えず』
のダメ出しは
『クソなこだわりに拘泥している』
クソなダメ出しとなる。
『拘泥』
《名・ス自》ほかに選びようもあるのに、一つの事にこだわること。
ほんとよく出来た言葉である。
ほとんどのダメなプロデューサー、ディレクターはこれをする。ある角度に置いてそれは正義だからだ。
『よくわかった人の拘り』と『へっぽこな人の拘り』は、その姿勢だけを見ていると違いが分かりにくい。最終出力がゴミかそうでないかだけである。
庵野監督は高い評価で『その拘りは必要であった』を示した。
それを示せない、示せなかった場合はそのこだわりは何なのか。
実現でき、成果が出る指示が出来なければ、そのこだわりはゴミなのだ。
ではいいダメ出しとは何か。
つまりその逆をやればいい。
まずゴールを示す。
ゴールとの違いを理由にダメ出しをする。
ゴールを示せないなら、ゴールを示すためのトライアル期間を設ける。複数のものを並べて、そここから欲しいものを見つけ出し、寄せていく。
『ゴールを決めれないプロジェクトは
往々にしてクソである』
まさかー。ゴールも決めずにどうやって走るんだよ。そんなプロジェクトあるのかよ。
有るんですね。
有るんですよ。(強調)
とりあえず、作りながら右往左往するのが、ゲームの作り方だと信じている人はいる。
いまさらそこを変えるのか? を平然とやる人はいる。
かつての自分の成功体験に引きずられ、あきらかに間違った判断を間違ったタイミングでやる人が居る。
『ゴールを決めずに走りだした奴はどこに着くのか』
『一体何に向かって走っているのか』
『地獄に決まってるじゃねーか』
そういう『ゴールを決めねば何に向かって走るのかわからぬ』という意識なしにプロジェクトを上手く転がせるわけがない。
すべてのダメ出しは、ゴールを示してから行われるべきである。
せめて、ゴールを示しながら行われるのが望ましい。
ゴールを示せない船頭は無能である。
ゴールが移動するのは、各種の情勢からして仕方が無い場合があるが、移動する可能性があるからゴールを示さない、は間違っている。
ゴールが分からないなら、まず走っても間違いの少ないゴールを設定して走り出すべきだ。
この辺り日本はハイコンテクスト文化なので「俺の脳内の好みを把握してそれにつくせよ」みたいなのをアリと考える人も居て非常に面倒くさい。
年収3千万の人が細かく説明するのを面倒くさがって、それを年収600万の人がバタバタ埋めるとする。5人以上がバタバタしたら赤字だ。
そういうもったいないプロジェクトの動かし方は意外とよく見る。
ゴールを示せないリーダーは、ゴミ以下。本人が示せなくても示せる部下を置き、そこにまかせるべきだ。
■まとめ
そんなわけで、せめてまずゴールを決める事、そしてダメ出しはせめて建設的であること、この2点が重要だと考える。
ただそういうのは、ちゃんと場数を踏むなり訓練を積まないとできないらしい。
最近の開発が分からない人(昔の開発のまま時計の針が止まっている人)や、重要な嗅覚に欠ける人、ドライブする意思や能力に欠けているが、それに自分で気が付かない人、というのはいて、いかに舵を握らせないかが重要になる。
犬の嗅覚、鳥の視覚の話を書いたことがあるが。
まさにそれなのだ。
わからない人にはわからない。
分かり合える接点だけで、そこを結んで、互いの知覚できない範囲をカバーし合うしか手はない。
人の意見はちゃんと聞こう、ちゃんと飲み込んで考えよう。そのうえでロジックで判断しよう。
書いていて自身の耳の痛い話も多いので、書いて見た甲斐があったと思うが。
それにしても、そのカンの無さでよく業界で生き残ってきたな!という人達との連携の疲弊は半端ないので要注意だ。
発掘されたメモテキストからの書き起こしなので、前に似たようなことを書いているかもしれないが、検索にかからなかったので書く;
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