面白かったので感想を書く。
レイトショウで8割の客入り。人気がある。
一応、TV放送分は全部見ていて、OVA?のアンツィオ戦もPSストアレンタルで見た。
その上での映画館であった。
映画は冒頭にざっくり世界観の説明などをしている。
以下、完全にネタバレで記述する。
■あらすじ
子女の嗜みとして、華道、茶道と並び称される、戦車道。
戦車道は女子による複数の戦車同士の実弾をつかったチーム戦である。
プロリーグも開催される人気競技。
主人公の「西住みほ」は自身たちの通う大洗女子学園の廃校を阻止するため、戦車部として大学生選抜チームと戦う。
■感想
ネット上で「ガルパンはいいぞ」と盛り上がりを見せており、少し期待しすぎた部分もあったが。
十分に楽しめる映画だった。
・リアリティライン(フィクションレベル)
女子高生が戦車戦をする。実弾を撃ちまくる。絶対死なない。それがそもそも成立している世界という枠組み。
個人的な話をすると、今でこそこの枠組みに慣れたが、TV版の初期はこれに慣れるのに時間がかかった。
そういう世界ですよというのをほのめかすガジェットは大量にあるのだが、それを逆手にとって主要キャラを殺してインパクトにする(マミる)ようなアニメが大量にあった時代なので、ああこういう話なのだなと得心するのに時間を要した。
実弾射撃の中、ヘルメットもせずに戦車から上半身を乗り出している絵というのは、それぐらい説明が必要なものだと感じてしまうのは、まぁ人に寄るのだろう。
戦車の描写は非常に丁寧で「どうしようかなぁこのアニメ見続けようかな、やめようかな」と思っていたTV初期、その描写だけで「これは最後まで見よう」と思わせる力があった。
戦車の傾き、着弾時の衝撃波、それぞれの演出がどんどんこなれていき、映画版はその集大成となっている。
おかげで映画館に足を運ぶザマである。
ただ映画版は規模がスケールアップしたこともあり、TVよりさらにリアリティラインが後退しており、戦車の挙動もさらにファンタジーに寄ってしまったので、そこは残念に感じた。
劇映画としては正しい判断な気もするが、そっちは期待していなかった。
・お話
TVシリーズでは、戦車道大会で優勝して廃校を免れるというお話であった。
映画版では、廃校は実は免れませんでした。もっと強い敵に勝ったら廃校を免れることができるよ、というお話になっている。
これはしかたがないのだけども、一度済んだ話がまた蒸し返すというのはちょっと残念である。
たとえば荒木飛呂彦が、漫画では話が後退するのはよくないと自著で語っている。例としてキックアス2でヒットガールがヒットガールをやめねばならなくなり悩む、というシーケンスがあるのだが、どうせまたヒットガールするんだから、前に進むために後ろに下がるエピソードはダメだという説明をしている。
自分はよくロボコップ2を例に出してこの話をする。
ロボコップは、1の最後で人間性を取り戻して終わる。2の冒頭でやっぱただのロボじゃん、という話なのだ。またか!もちろん人間性を回復して終わる。
シナリオ技法で良く語られるものに「物語というのは、開始と終了の時点で何かが変わってなければいけない」というのがある。そうでなければその物語は無駄だから。
世界が救われたり、悪徳刑事が改心したり、孤独な少女が仲間を得たりして。
そうやって終わった話が、実はあのお話は無駄でした。で再開するのはモニョりを感じる。
ただしその付近、ガルパンはかなり丁寧にやっていて、スケールアップすることで回避しようとはしている。
・SEとCGが的確に使われている。
まずSE。
自分に知識が無いのでリアルかどうかは分からないが、SE、特に発砲音が車種によって、またカメラからの距離や場所によって、丁寧に使い分けられており、音の移動感も絶妙で、うまく戦場を演出していた。
次にCG。
CGにおける戦車というのは、手を抜けばそれほど面倒ではないのだが、丁寧にやると途端に面倒になる。
それはまず「履帯」(クローラー、キャタピラ)が面倒くさいからで、細かい剛性パーツの組み合わせで、可動部分が多く、重力と遠心力の影響を受けてたわむ。丁寧にやらないとリアリティが出ず、破壊した日には、多重関節+重力+破壊処理で、ああゲンナリという面倒くささである。
そしてそれが地面に接地しているのだ。微細なギャップで跳ねたりする。うわぁぁぁ。面倒くさい。
そしてその面倒くさいポイントを抑えてあるかないかで、映像の説得力は雲泥の差になる。
ガルパンにおけるCGは非常に的確で、莫大なコストをかけたというよりも、重要なポイントに絞って演出してある感じで、見せ場の丁寧さは折り紙つきだ。
戦車に限らず、背景の3D化もあっさりしたキャラクター絵にあわせて手書き風テクスチャを用い、どこまでが3Dでどこまでが2Dか止め絵では分かりにくい程度まで馴染ませてある。
自分はゲーム畑だが、かつての日本の映像作品のCGはヘッポコだなぁと思わせる使い方が多かった。ゲームのほうが予算が潤沢だったり、普段から延々CGをやっているのでCGに強かったからだ。
だがアニメはアニメで練度が上がったなぁと感じた。
ガルパンは「この素材を使うならこう撮影するよね」と納得の手堅さがある。
・物語の配分
戦車戦が8割。それ以外が2割な印象。マッドマックス怒りのデスロードか。(荒野を走っているのが10割)
この割合は印象だけの話で実際の割合ではないが。
流石に戦車戦だけでこの尺はダレる。映画は全編で119分の長丁場だ。
俺は戦車を見にいったのだが(女子のドラマはどうでもよかったのだが)、それでもちょっと厳しい。
どうやって勝った、どうやったら負けた、どういう戦術を使った、と、いろいろ工夫は凝らされていて、戦車戦だけでもマが持つようにしてあると思うのだが、それでもだ。(仕切り直しになる状況が多いが無理がある)
別の例を出すと。ガンダムUCが、プラモの販促の為か、戦闘シーンが長いのだが。MS戦闘を見るために見ているとはいえ戦況に影響しない(物語に関わらない)MS戦が長くても面白くなかったのであった。
物語技法などでよく触れられる“「物語を説明する」「キャラを立てる」「物語を進める」以外のシーンに尺を使うな”というルールがあるのだが。
物語に影響しない戦闘というのは「キャラを立てる」以外に使い道が無い。ガンダムUCにある、パイロットが誰かも不明な長い戦闘などは物語から見ると異物となっている。(MSというキャラを立てているのでコマーシャルフィルムとしてはとても正しいと思う)
ガルパンの場合、多種多様キャラがおり、それぞれのキャラ立てと戦闘エピソードを被せて間延びを回避しつつ尺を稼ごうとしている。 が、思い入れの浅いキャラも多いので、長さは気になってしまった。
正直尺はもうちょっとツメてテンポよくやっても良かったのではという気がしているが、各キャラファンのことを思うとそうもいかないのだろう。
・物語の構成
大きく3つに分けられる。
1つ目が各種キャラの属性を紹介するエキシビジョンマッチ。各高校の合同戦で、登場キャラそれぞれの属性を戦闘の中で紹介する。
2つ目が、廃校の決定からの起死回生をかけての戦車戦へのステップ。
3つ目が、ラストバトルの戦車戦。
1つ目のエキシビジョンマッチで各キャラの抱える問題点が描かれ、2つ目の間で解消への動きが示されたりしつつ、3つ目のラストバトルで結実する。
たとえばオタクっぽくひ弱いチームは体を鍛えて強くなる。すぐ無謀な突撃をしてしまうチームは冷静に作戦を立てれるようになる。
ハリウッドのシナリオ技法とかでよく使われるあの構造だが、それを大人数分を、ざーっとまとめてやってしまう。
この人数の登場キャラで、片っ端から「抱える問題とその解決」をやった映画はなかなか珍しいのではないか。
マンガマンガしたシンプルな絵で、キャラの属性もステロタイプであるという、萌えアニメフォーマットだからできる技だと思うが、これをきっちりやったことで、映画になっている。
先ほど「物語というのは、開始と終了の時点で何かが変わってなければいけない」と書いたが、ガルパンは、物語の最初と最後までの間に、大量のキャラクターが成長している。
非常に手堅い。
・萌えアニメ
同世代の男性が一切出てこない、女性キャラが基本的にステロタイプ。不美人なし。女の子同士のつるみベース。
非常にベタな萌えアニメの構造。
しかし、どうみても製作スタッフの興味は戦車が中心である。
入浴シーンなどお約束を組み入れているが、戦車のほうがよっぽど凝っている。
萌えアニメの皮をかぶらねば商売が成立しない状況と、スタッフとしても萌えをやりたくないわけではないという立場、それプラス戦車をがっつりやろうという思惑。
いろいろな化学変化があり、萌えに耐性の足りない俺みたいな視聴者でも楽しめるものに仕上がっているのだが。
だからと言って広く一般にお勧めできるものではなく。
非常にイビツなもので。これは、現在の日本の市場の悩ましさだと感じる。
個人的にはとても楽しめるコンテンツなので、もっと多くの人に訴求できる体裁で商売ができるとよいのにと思う。
なんとも難儀な話。
・戦車
基本的にマニアがニンマリの出来だと思う。
ここまでにも触れたが、戦車のリアリティレベルがTV版の時よりさらにファンタジーに振られたのでそれに関してはちょっと残念。
あと、大爆発をおこすわけにもいかないので、白旗がしゅこんと出ることで勝敗判定としているが、複雑な動きをする画面の時は分かりにくく、ストレスがたまった。
だが、アニメでの戦車描写としては、必要十分以上に極まっている。
たとえば、戦車戦の尺が非常に長いのは述べたが、それの間を持たせるためにも多種多様の戦車が登場する。
お、ここでコレをだすのか。あ、アレがチラっと写った。という楽しみ方。
戦車の見た目や性能はそれを操縦するチームの芸風や作戦と噛み合わせてある。
・戦車以外
各女生徒が「やはり廃校」という困難に当たった際、どう振舞うか。その結果としての成長。
物語の構成で触れたとおり大人数を手際よくやっている。
が、記号的だし、あっさりしている。これはコレでいいのだろう。そこに期待していない。
・戦車戦
実際に戦車同士でチーム戦をしたらこういう戦いになるかというとならないのだろうが。
フィクションラインとしてはギリギリアリだと思う。
ただ「こういう戦法が利いてこうなりました」はかなり意図的にちゃんとやっているけれど、それでもネタが足りなく感じる程度に戦車戦の尺が長いので、アラが目立つ。
無茶な一発芸は一発だと通るが連打すると細かく気になるから。
■まとめ
正直、戦車でアニメ映画が作れるとはだれも思わなかっただろう。
それが現時点で8億稼ぐビッグタイトルになった。
自分のような萌え系が苦手な視聴者の視聴に耐えるように、萌えの配分もずいぶん調整されている。
日本の特殊な市場が生んだイビツだが魅力のある作品だと思う。
作りたいものを売れる形にパッケージして、しっかり売る。すばらしい。
そもそもが大量のキャラクターに課題を与え、それを解決するといったつくりは王道だ。
王道ができるのは地力があるからだ。
すごいね。
子女の嗜みとして、華道、茶道と並び称される、戦車道。
戦車道は女子による複数の戦車同士の実弾をつかったチーム戦である。
プロリーグも開催される人気競技。
主人公の「西住みほ」は自身たちの通う大洗女子学園の廃校を阻止するため、戦車部として大学生選抜チームと戦う。
■感想
ネット上で「ガルパンはいいぞ」と盛り上がりを見せており、少し期待しすぎた部分もあったが。
十分に楽しめる映画だった。
・リアリティライン(フィクションレベル)
女子高生が戦車戦をする。実弾を撃ちまくる。絶対死なない。それがそもそも成立している世界という枠組み。
個人的な話をすると、今でこそこの枠組みに慣れたが、TV版の初期はこれに慣れるのに時間がかかった。
そういう世界ですよというのをほのめかすガジェットは大量にあるのだが、それを逆手にとって主要キャラを殺してインパクトにする(マミる)ようなアニメが大量にあった時代なので、ああこういう話なのだなと得心するのに時間を要した。
実弾射撃の中、ヘルメットもせずに戦車から上半身を乗り出している絵というのは、それぐらい説明が必要なものだと感じてしまうのは、まぁ人に寄るのだろう。
戦車の描写は非常に丁寧で「どうしようかなぁこのアニメ見続けようかな、やめようかな」と思っていたTV初期、その描写だけで「これは最後まで見よう」と思わせる力があった。
戦車の傾き、着弾時の衝撃波、それぞれの演出がどんどんこなれていき、映画版はその集大成となっている。
おかげで映画館に足を運ぶザマである。
ただ映画版は規模がスケールアップしたこともあり、TVよりさらにリアリティラインが後退しており、戦車の挙動もさらにファンタジーに寄ってしまったので、そこは残念に感じた。
劇映画としては正しい判断な気もするが、そっちは期待していなかった。
・お話
TVシリーズでは、戦車道大会で優勝して廃校を免れるというお話であった。
映画版では、廃校は実は免れませんでした。もっと強い敵に勝ったら廃校を免れることができるよ、というお話になっている。
これはしかたがないのだけども、一度済んだ話がまた蒸し返すというのはちょっと残念である。
たとえば荒木飛呂彦が、漫画では話が後退するのはよくないと自著で語っている。例としてキックアス2でヒットガールがヒットガールをやめねばならなくなり悩む、というシーケンスがあるのだが、どうせまたヒットガールするんだから、前に進むために後ろに下がるエピソードはダメだという説明をしている。
自分はよくロボコップ2を例に出してこの話をする。
ロボコップは、1の最後で人間性を取り戻して終わる。2の冒頭でやっぱただのロボじゃん、という話なのだ。またか!もちろん人間性を回復して終わる。
シナリオ技法で良く語られるものに「物語というのは、開始と終了の時点で何かが変わってなければいけない」というのがある。そうでなければその物語は無駄だから。
世界が救われたり、悪徳刑事が改心したり、孤独な少女が仲間を得たりして。
そうやって終わった話が、実はあのお話は無駄でした。で再開するのはモニョりを感じる。
ただしその付近、ガルパンはかなり丁寧にやっていて、スケールアップすることで回避しようとはしている。
・SEとCGが的確に使われている。
まずSE。
自分に知識が無いのでリアルかどうかは分からないが、SE、特に発砲音が車種によって、またカメラからの距離や場所によって、丁寧に使い分けられており、音の移動感も絶妙で、うまく戦場を演出していた。
次にCG。
CGにおける戦車というのは、手を抜けばそれほど面倒ではないのだが、丁寧にやると途端に面倒になる。
それはまず「履帯」(クローラー、キャタピラ)が面倒くさいからで、細かい剛性パーツの組み合わせで、可動部分が多く、重力と遠心力の影響を受けてたわむ。丁寧にやらないとリアリティが出ず、破壊した日には、多重関節+重力+破壊処理で、ああゲンナリという面倒くささである。
そしてそれが地面に接地しているのだ。微細なギャップで跳ねたりする。うわぁぁぁ。面倒くさい。
そしてその面倒くさいポイントを抑えてあるかないかで、映像の説得力は雲泥の差になる。
ガルパンにおけるCGは非常に的確で、莫大なコストをかけたというよりも、重要なポイントに絞って演出してある感じで、見せ場の丁寧さは折り紙つきだ。
戦車に限らず、背景の3D化もあっさりしたキャラクター絵にあわせて手書き風テクスチャを用い、どこまでが3Dでどこまでが2Dか止め絵では分かりにくい程度まで馴染ませてある。
自分はゲーム畑だが、かつての日本の映像作品のCGはヘッポコだなぁと思わせる使い方が多かった。ゲームのほうが予算が潤沢だったり、普段から延々CGをやっているのでCGに強かったからだ。
だがアニメはアニメで練度が上がったなぁと感じた。
ガルパンは「この素材を使うならこう撮影するよね」と納得の手堅さがある。
・物語の配分
戦車戦が8割。それ以外が2割な印象。マッドマックス怒りのデスロードか。(荒野を走っているのが10割)
この割合は印象だけの話で実際の割合ではないが。
流石に戦車戦だけでこの尺はダレる。映画は全編で119分の長丁場だ。
俺は戦車を見にいったのだが(女子のドラマはどうでもよかったのだが)、それでもちょっと厳しい。
どうやって勝った、どうやったら負けた、どういう戦術を使った、と、いろいろ工夫は凝らされていて、戦車戦だけでもマが持つようにしてあると思うのだが、それでもだ。(仕切り直しになる状況が多いが無理がある)
別の例を出すと。ガンダムUCが、プラモの販促の為か、戦闘シーンが長いのだが。MS戦闘を見るために見ているとはいえ戦況に影響しない(物語に関わらない)MS戦が長くても面白くなかったのであった。
物語技法などでよく触れられる“「物語を説明する」「キャラを立てる」「物語を進める」以外のシーンに尺を使うな”というルールがあるのだが。
物語に影響しない戦闘というのは「キャラを立てる」以外に使い道が無い。ガンダムUCにある、パイロットが誰かも不明な長い戦闘などは物語から見ると異物となっている。(MSというキャラを立てているのでコマーシャルフィルムとしてはとても正しいと思う)
ガルパンの場合、多種多様キャラがおり、それぞれのキャラ立てと戦闘エピソードを被せて間延びを回避しつつ尺を稼ごうとしている。 が、思い入れの浅いキャラも多いので、長さは気になってしまった。
正直尺はもうちょっとツメてテンポよくやっても良かったのではという気がしているが、各キャラファンのことを思うとそうもいかないのだろう。
・物語の構成
大きく3つに分けられる。
1つ目が各種キャラの属性を紹介するエキシビジョンマッチ。各高校の合同戦で、登場キャラそれぞれの属性を戦闘の中で紹介する。
2つ目が、廃校の決定からの起死回生をかけての戦車戦へのステップ。
3つ目が、ラストバトルの戦車戦。
1つ目のエキシビジョンマッチで各キャラの抱える問題点が描かれ、2つ目の間で解消への動きが示されたりしつつ、3つ目のラストバトルで結実する。
たとえばオタクっぽくひ弱いチームは体を鍛えて強くなる。すぐ無謀な突撃をしてしまうチームは冷静に作戦を立てれるようになる。
ハリウッドのシナリオ技法とかでよく使われるあの構造だが、それを大人数分を、ざーっとまとめてやってしまう。
この人数の登場キャラで、片っ端から「抱える問題とその解決」をやった映画はなかなか珍しいのではないか。
マンガマンガしたシンプルな絵で、キャラの属性もステロタイプであるという、萌えアニメフォーマットだからできる技だと思うが、これをきっちりやったことで、映画になっている。
先ほど「物語というのは、開始と終了の時点で何かが変わってなければいけない」と書いたが、ガルパンは、物語の最初と最後までの間に、大量のキャラクターが成長している。
非常に手堅い。
・萌えアニメ
同世代の男性が一切出てこない、女性キャラが基本的にステロタイプ。不美人なし。女の子同士のつるみベース。
非常にベタな萌えアニメの構造。
しかし、どうみても製作スタッフの興味は戦車が中心である。
入浴シーンなどお約束を組み入れているが、戦車のほうがよっぽど凝っている。
萌えアニメの皮をかぶらねば商売が成立しない状況と、スタッフとしても萌えをやりたくないわけではないという立場、それプラス戦車をがっつりやろうという思惑。
いろいろな化学変化があり、萌えに耐性の足りない俺みたいな視聴者でも楽しめるものに仕上がっているのだが。
だからと言って広く一般にお勧めできるものではなく。
非常にイビツなもので。これは、現在の日本の市場の悩ましさだと感じる。
個人的にはとても楽しめるコンテンツなので、もっと多くの人に訴求できる体裁で商売ができるとよいのにと思う。
なんとも難儀な話。
・戦車
基本的にマニアがニンマリの出来だと思う。
ここまでにも触れたが、戦車のリアリティレベルがTV版の時よりさらにファンタジーに振られたのでそれに関してはちょっと残念。
あと、大爆発をおこすわけにもいかないので、白旗がしゅこんと出ることで勝敗判定としているが、複雑な動きをする画面の時は分かりにくく、ストレスがたまった。
だが、アニメでの戦車描写としては、必要十分以上に極まっている。
たとえば、戦車戦の尺が非常に長いのは述べたが、それの間を持たせるためにも多種多様の戦車が登場する。
お、ここでコレをだすのか。あ、アレがチラっと写った。という楽しみ方。
戦車の見た目や性能はそれを操縦するチームの芸風や作戦と噛み合わせてある。
・戦車以外
各女生徒が「やはり廃校」という困難に当たった際、どう振舞うか。その結果としての成長。
物語の構成で触れたとおり大人数を手際よくやっている。
が、記号的だし、あっさりしている。これはコレでいいのだろう。そこに期待していない。
・戦車戦
実際に戦車同士でチーム戦をしたらこういう戦いになるかというとならないのだろうが。
フィクションラインとしてはギリギリアリだと思う。
ただ「こういう戦法が利いてこうなりました」はかなり意図的にちゃんとやっているけれど、それでもネタが足りなく感じる程度に戦車戦の尺が長いので、アラが目立つ。
無茶な一発芸は一発だと通るが連打すると細かく気になるから。
■まとめ
正直、戦車でアニメ映画が作れるとはだれも思わなかっただろう。
それが現時点で8億稼ぐビッグタイトルになった。
自分のような萌え系が苦手な視聴者の視聴に耐えるように、萌えの配分もずいぶん調整されている。
日本の特殊な市場が生んだイビツだが魅力のある作品だと思う。
作りたいものを売れる形にパッケージして、しっかり売る。すばらしい。
そもそもが大量のキャラクターに課題を与え、それを解決するといったつくりは王道だ。
王道ができるのは地力があるからだ。
すごいね。
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
やっと見てきた。おもしろい。リピータがいるのもうなずける。爆音上映なるものがあり、いったい何ためにと思っていたが、戦車の動きはもちろん、SEが半端ない迫力なので、これは ...
2016/02/01(月) 20:44:11 | IT社員の公私混同
| ホーム |
COPYRIGHT © 2004 POWERED BY FC2 ALL RIGHTS RESERVED.