見たので感想を書く。
何で見たかと言うと、例のバンダイチャンネルの罠(1ヶ月だけ入会してみるもの見て止めようと思ったら、新作が順次追加される)だ。

何度か書いているが自分は車田ファン、星矢ファンというわけではないので、間違いや認識ズレはあると思う。
■お話
冥王ハーデス戦の際、命と引き換えに「嘆きの壁」を破壊して消滅した12人の黄金聖闘士は、北欧の地アスガルドにて復活した。
黄金聖闘士はなぜ甦ったのか。
■感想
うーん。
黄金聖闘士にスポットを当てて、お話を作ろうというのは、悪くは無いと思う。
実際ハーデス偏などでも、彼らが出てくるとやたら盛り上がる。
だが、黄金魂における、黄金聖闘士は車田魂が足りない。
なんかあのデスマスクがシレっとアテナのために闘っているとかもどうかと思うし、神にもっとも近いとか、最強とか、いろいろな形容詞で語られる黄金聖闘士たちが、安っぽく苦戦するとか。
また、敵として現れる神闘士やキーキャラのリフィアが、車田っぽさが無く、深みが無いなど、欠点が目に付く。
聖闘士星矢というのは「燃えろオレの小宇宙!」で、全てが解決してしまう物語なので。
いかに大袈裟で、派手で、セリフ1コ1コ、ポーズ1コ1コの重みがある、というが必要か。
それが、アニメオリジナルパートの人たちには足りない。
セリフが車田ふきだし(黒ベタの筆ペンで描いたようなふきだし)で喋ってる感じが足りない。
単純な物語ゆえに、キャラクターの厚み、重さ、強そうな感じ(神々の戦争だぜ)が必要なのだが、残念な事に、通常兵器で殺せそうだ。
色々解っているなぁと思わせる演出もあり、ところどころ期待させるのだが、どうにも物足りないのは、そういう車田美学、車田様式美の咀嚼が足りないのではないか。
これは、TVシリーズでもアニメオリジナルが混ざると発生していた事態だ。
原作キャラより強い、魅力あるキャラを出しちゃうのは、色々問題もあるだろうから、アニメ製作者はとても難しい采配を迫られたと思うが。
それにしても、ちょっとしょっぱい。
ハーデス偏でも多用された、つまらない演出に『登場人物の顔のアップがコマ割りでズラーと並んで、「うおおお」「ぐおおお」「ぐぬぬ」とか、一斉に苦しんだり、一斉にテンション上がったり』という描写がある。
これが黄金魂でも多用される。12人も主要キャラが要るのだから面倒この上ない。
「燃えあがれ! 俺の小宇宙!」「燃えあがれ! 私の小宇宙よ!」「舞い上がれ! 我が小宇宙よ!」~以下12人分。
これだって、ちゃんと演出すれば、カッコイイと思うんだが、顔アップ+カメラパン、だけでやられると、はいはいお約束お約束、といった演出になっていて、とてもじゃないが盛り上がれない。
ザックリいえば、
『たいして強そうでない敵に、お約束で苦戦する黄金聖闘士が、お約束で小宇宙を高めて勝つ。』
という構造なので、イマイチ盛り上がれない。
とはいえ、実際面白く見れた12宮偏なども、
『強大な敵に、お約束で苦戦する黄金聖闘士が、お約束で小宇宙を高めて勝つ。ただし納得感あり』
なわけで、敵キャラの描写と、それを覆す納得感が重要なのだと思う。
12宮偏は、神に近い強さの黄金聖闘士と、その下級闘士である青銅聖闘士の戦いで、普通じゃ絶対勝てない、いったいどう勝つのだこれ、というのを12パターンやったわけで、それは凄いネタ袋であったと思う。
実際、それ以後は車田漫画の方も敵の強さの描写に難があり、やたら出てくる聖衣風の別集団も強いのか弱いのかよくわからず、比較対象が無く、面白さにかけた。
この比較対象は、本当に初期の星矢は凄く良くできていて(やれパンチが音速を超えただの、光の速さだの、原子を砕けばなんでも砕くだの)無茶苦茶な理屈ながら、その理屈なら一体どう勝つんだ?という興味を引き、その興味に納得させるだけのネタを用意していた。
聖矢をただのインフレ超能力バトルだと思っていては、この面白さは解らない。
とんでもないインフレ超能力バトル(理屈付き)なのだ。
車田様式美に関しては、以前にも触れたが、その極限までそぎ落とした、カッコイイ表現+ものすごいハッタリ+ちゃんとした解決によって、聖矢は何十年もたっても新作が供給される、ファンを多く持つ作品になったのだと思う。
是非その立脚点に立ち戻って、もっと様式美とハッタリと理屈を磨いたものが見たい。
およびなんというか、いろいろと勉強になる感じであった。
冥王ハーデス戦の際、命と引き換えに「嘆きの壁」を破壊して消滅した12人の黄金聖闘士は、北欧の地アスガルドにて復活した。
黄金聖闘士はなぜ甦ったのか。
■感想
うーん。
黄金聖闘士にスポットを当てて、お話を作ろうというのは、悪くは無いと思う。
実際ハーデス偏などでも、彼らが出てくるとやたら盛り上がる。
だが、黄金魂における、黄金聖闘士は車田魂が足りない。
なんかあのデスマスクがシレっとアテナのために闘っているとかもどうかと思うし、神にもっとも近いとか、最強とか、いろいろな形容詞で語られる黄金聖闘士たちが、安っぽく苦戦するとか。
また、敵として現れる神闘士やキーキャラのリフィアが、車田っぽさが無く、深みが無いなど、欠点が目に付く。
聖闘士星矢というのは「燃えろオレの小宇宙!」で、全てが解決してしまう物語なので。
いかに大袈裟で、派手で、セリフ1コ1コ、ポーズ1コ1コの重みがある、というが必要か。
それが、アニメオリジナルパートの人たちには足りない。
セリフが車田ふきだし(黒ベタの筆ペンで描いたようなふきだし)で喋ってる感じが足りない。
単純な物語ゆえに、キャラクターの厚み、重さ、強そうな感じ(神々の戦争だぜ)が必要なのだが、残念な事に、通常兵器で殺せそうだ。
色々解っているなぁと思わせる演出もあり、ところどころ期待させるのだが、どうにも物足りないのは、そういう車田美学、車田様式美の咀嚼が足りないのではないか。
これは、TVシリーズでもアニメオリジナルが混ざると発生していた事態だ。
原作キャラより強い、魅力あるキャラを出しちゃうのは、色々問題もあるだろうから、アニメ製作者はとても難しい采配を迫られたと思うが。
それにしても、ちょっとしょっぱい。
ハーデス偏でも多用された、つまらない演出に『登場人物の顔のアップがコマ割りでズラーと並んで、「うおおお」「ぐおおお」「ぐぬぬ」とか、一斉に苦しんだり、一斉にテンション上がったり』という描写がある。
これが黄金魂でも多用される。12人も主要キャラが要るのだから面倒この上ない。
「燃えあがれ! 俺の小宇宙!」「燃えあがれ! 私の小宇宙よ!」「舞い上がれ! 我が小宇宙よ!」~以下12人分。
これだって、ちゃんと演出すれば、カッコイイと思うんだが、顔アップ+カメラパン、だけでやられると、はいはいお約束お約束、といった演出になっていて、とてもじゃないが盛り上がれない。
ザックリいえば、
『たいして強そうでない敵に、お約束で苦戦する黄金聖闘士が、お約束で小宇宙を高めて勝つ。』
という構造なので、イマイチ盛り上がれない。
とはいえ、実際面白く見れた12宮偏なども、
『強大な敵に、お約束で苦戦する黄金聖闘士が、お約束で小宇宙を高めて勝つ。ただし納得感あり』
なわけで、敵キャラの描写と、それを覆す納得感が重要なのだと思う。
12宮偏は、神に近い強さの黄金聖闘士と、その下級闘士である青銅聖闘士の戦いで、普通じゃ絶対勝てない、いったいどう勝つのだこれ、というのを12パターンやったわけで、それは凄いネタ袋であったと思う。
実際、それ以後は車田漫画の方も敵の強さの描写に難があり、やたら出てくる聖衣風の別集団も強いのか弱いのかよくわからず、比較対象が無く、面白さにかけた。
この比較対象は、本当に初期の星矢は凄く良くできていて(やれパンチが音速を超えただの、光の速さだの、原子を砕けばなんでも砕くだの)無茶苦茶な理屈ながら、その理屈なら一体どう勝つんだ?という興味を引き、その興味に納得させるだけのネタを用意していた。
聖矢をただのインフレ超能力バトルだと思っていては、この面白さは解らない。
とんでもないインフレ超能力バトル(理屈付き)なのだ。
車田様式美に関しては、以前にも触れたが、その極限までそぎ落とした、カッコイイ表現+ものすごいハッタリ+ちゃんとした解決によって、聖矢は何十年もたっても新作が供給される、ファンを多く持つ作品になったのだと思う。
是非その立脚点に立ち戻って、もっと様式美とハッタリと理屈を磨いたものが見たい。
およびなんというか、いろいろと勉強になる感じであった。
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