つーかーれたー。
■すき家の「アルバイトは業務委託である」という主張の経緯 -すき家の非情経営まとめ2-
業務委託として残業代を払わない、というのはある種のテクニックとして存在するが、自給換算されるような仕事でそれが通用してはタテマエが総崩れだ。
■聖闘士星矢Ω
ものすごく流し見で視聴。
いろいろ事情があったことと思うが、面白くなかった。
そもそも聖闘士星矢は、言ってしまえば「小宇宙を燃やせば万事解決」な感情ドライブの物語なので。
そこを面白くするにはその感情や舞台装置に説得力が必要だと思う。初期の星矢はたしかにそれがあった。
主役5人にせよ、戦う理由、負けられない理由はてんこ盛りであり、確執から信頼までを丁寧に描いていた。教皇が何者かなんてのも胸に刺さった矢も、マリンさんて姉さんじゃなかったの!?みたいなのも、話をひっぱるガジェットが豊富だった。
そこにきてΩはどうかというと、まるで興味を引かない。
その上で、チグハグさが目立つ。
、感情ドライブの物語に聖闘士も属性で闘う時代とか、お前はナルトかよ、みたいな要素を入れた挙句消化しきれず投げ出してしまう。聖衣もデザインや装着を変更してみるが、結局旧来型にもどってしまう。
芯が通っていない。またその芯の通らなさが、聖矢ファンのイラっとするポイントを突いているように感じる。
他にも、スチール聖闘士大活躍やら、チンピラのゴールド聖闘士や、ザコ臭い敵や、中2的なかっこよさの欠片もない技名や、女性聖闘士は素顔を見られてはいけないけど、ポリシーで仮面つけないとか。ガッカリオンパレードだ。
なんでこうなっちゃったのかなぁ。
もちろん、そういう要素が、面白さを生み出していれば、それこそが売りになると思うのだが、残念な感じだった。
聖矢を好きでない人が仕様を切ったんじゃないのかと思わせる。
(注:実は俺あんまり聖矢詳しく無いので間違っている可能性が高い)
ほんとよくわからんのだが、これはファンにはどういう風に受け止められたのだろう。
ネット上で文句は良く見かける。
■[社会]ラブライブ!に倒産を救われた赤字企業KLabの株主総会でリアル廃校メソッド泣き落とし!
他所様の話ではあるが、金があり(回転資金があり)、IPがあり、なんでその後ちゃんと回らぬのだろうという疑問はある。
こういう首切りの仕方を見ても、組織がピラミッド型でなく画鋲型をしており、効率的な指揮系統になっていないのではないかと感じる。いやもー外から見てるだけなので実態は全くわからないけど。
以後、Klabとは全く関係ないが、ソーシャルのゲーム製作に関して。一方向の視点だけではナニだし。
ゲーム製作なんてのは、経験によってショートカットできるパートが多く、逆を言うと経験の無い人を集めて作ると大博打になってしまう。
困った事にガラケーソーシャルが流行った瞬間、ゲーム製作的な経験値より、web知識の方が重要だった時期が数年あり、今また開発規模が大きくなって、web的な製作手順では手に負えない状況が増えた。
さらに、web的な能力、サーバ的な能力は、以前にも増して重要になっている。ようするに必要スキルがハネあがった。
ゲーム製作(可能ならばネトゲ)経験者、ソシャゲ製作経験者、ソシャゲ運営経験者、それぞれのスキル持ちを揃えておかないと、もうおっかなびっくりだ。
また、ソーシャルゲームは、売り上げを細かいデータとして数値化して確認できるために「カンチガイ」しやすい。
インゲームの企画と、運営の企画、商品設計のウエイトにおいて、アンバランスな状態になりやすく「マグレ当りか成功方程式を見つけたのか」はとても判断が難しい。
ゲームが良くできていた為に稼げたゲームが、ガチャや誘引策の成功と判断されてしまうというのはある。
こういうのはタイヤの両輪であり、片方ではまともにドライブできないのだが、金に直接関わるところの方が評価しやすいため道を誤りやすい。判断材料があるだけに。
そんで、何かの「マグレ」で「大当たりしてしまった」ゲームを「成功法則をつかんだ!」と思って事業拡大したり、同じような座組を複数化すると、当然次は外れる。
ぎゃー。
そりゃ悲鳴もでる。
みたいなことであちこちで死屍累々だ。
■今日のunity
めっさ久しぶりに立ち上げたところ、もう俺自分のコードを読む能力が無い。
こういうのに関しては、全部テキストで書かれていた昔のコードの方が、時間が経ってからの可読性は高いよなーなどと。
後イベントドリブンじゃなくて1ファイルで長々書いてた方が読みやすい。
メンテしやすいのと、読みやすいのと、開発しやすいのは、なんか全部違う描き方な気がする。(そーだよ。俺はプログラマ向いて無いんだよ;)
■すき家の「アルバイトは業務委託である」という主張の経緯 -すき家の非情経営まとめ2-
業務委託として残業代を払わない、というのはある種のテクニックとして存在するが、自給換算されるような仕事でそれが通用してはタテマエが総崩れだ。
■聖闘士星矢Ω
ものすごく流し見で視聴。
いろいろ事情があったことと思うが、面白くなかった。
そもそも聖闘士星矢は、言ってしまえば「小宇宙を燃やせば万事解決」な感情ドライブの物語なので。
そこを面白くするにはその感情や舞台装置に説得力が必要だと思う。初期の星矢はたしかにそれがあった。
主役5人にせよ、戦う理由、負けられない理由はてんこ盛りであり、確執から信頼までを丁寧に描いていた。教皇が何者かなんてのも胸に刺さった矢も、マリンさんて姉さんじゃなかったの!?みたいなのも、話をひっぱるガジェットが豊富だった。
そこにきてΩはどうかというと、まるで興味を引かない。
その上で、チグハグさが目立つ。
、感情ドライブの物語に聖闘士も属性で闘う時代とか、お前はナルトかよ、みたいな要素を入れた挙句消化しきれず投げ出してしまう。聖衣もデザインや装着を変更してみるが、結局旧来型にもどってしまう。
芯が通っていない。またその芯の通らなさが、聖矢ファンのイラっとするポイントを突いているように感じる。
他にも、スチール聖闘士大活躍やら、チンピラのゴールド聖闘士や、ザコ臭い敵や、中2的なかっこよさの欠片もない技名や、女性聖闘士は素顔を見られてはいけないけど、ポリシーで仮面つけないとか。ガッカリオンパレードだ。
なんでこうなっちゃったのかなぁ。
もちろん、そういう要素が、面白さを生み出していれば、それこそが売りになると思うのだが、残念な感じだった。
聖矢を好きでない人が仕様を切ったんじゃないのかと思わせる。
(注:実は俺あんまり聖矢詳しく無いので間違っている可能性が高い)
ほんとよくわからんのだが、これはファンにはどういう風に受け止められたのだろう。
ネット上で文句は良く見かける。
■[社会]ラブライブ!に倒産を救われた赤字企業KLabの株主総会でリアル廃校メソッド泣き落とし!
他所様の話ではあるが、金があり(回転資金があり)、IPがあり、なんでその後ちゃんと回らぬのだろうという疑問はある。
こういう首切りの仕方を見ても、組織がピラミッド型でなく画鋲型をしており、効率的な指揮系統になっていないのではないかと感じる。いやもー外から見てるだけなので実態は全くわからないけど。
以後、Klabとは全く関係ないが、ソーシャルのゲーム製作に関して。一方向の視点だけではナニだし。
ゲーム製作なんてのは、経験によってショートカットできるパートが多く、逆を言うと経験の無い人を集めて作ると大博打になってしまう。
困った事にガラケーソーシャルが流行った瞬間、ゲーム製作的な経験値より、web知識の方が重要だった時期が数年あり、今また開発規模が大きくなって、web的な製作手順では手に負えない状況が増えた。
さらに、web的な能力、サーバ的な能力は、以前にも増して重要になっている。ようするに必要スキルがハネあがった。
ゲーム製作(可能ならばネトゲ)経験者、ソシャゲ製作経験者、ソシャゲ運営経験者、それぞれのスキル持ちを揃えておかないと、もうおっかなびっくりだ。
また、ソーシャルゲームは、売り上げを細かいデータとして数値化して確認できるために「カンチガイ」しやすい。
インゲームの企画と、運営の企画、商品設計のウエイトにおいて、アンバランスな状態になりやすく「マグレ当りか成功方程式を見つけたのか」はとても判断が難しい。
ゲームが良くできていた為に稼げたゲームが、ガチャや誘引策の成功と判断されてしまうというのはある。
こういうのはタイヤの両輪であり、片方ではまともにドライブできないのだが、金に直接関わるところの方が評価しやすいため道を誤りやすい。判断材料があるだけに。
そんで、何かの「マグレ」で「大当たりしてしまった」ゲームを「成功法則をつかんだ!」と思って事業拡大したり、同じような座組を複数化すると、当然次は外れる。
ぎゃー。
そりゃ悲鳴もでる。
みたいなことであちこちで死屍累々だ。
■今日のunity

こういうのに関しては、全部テキストで書かれていた昔のコードの方が、時間が経ってからの可読性は高いよなーなどと。
後イベントドリブンじゃなくて1ファイルで長々書いてた方が読みやすい。
メンテしやすいのと、読みやすいのと、開発しやすいのは、なんか全部違う描き方な気がする。(そーだよ。俺はプログラマ向いて無いんだよ;)
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