ビデオゲームにおけるゲーム性の話をすると、まず定義から始めねばならず色々と面倒くさいので、自分がゲーム性という単語を使う場合の定義を書いておく。
今後なんかあったらここにリンク飛ばしたり、随時アップデートしたりする予定。(未定)
ここで扱うものはコスティキャンなどによる「狭義のゲーム性」であり、広範囲の物では無い。
今後なんかあったらここにリンク飛ばしたり、随時アップデートしたりする予定。(未定)
ここで扱うものはコスティキャンなどによる「狭義のゲーム性」であり、広範囲の物では無い。
■ゲーム性とは
まずゲーム性とは何かを絞り込む為に、
ビデオゲームからこれがなくてもゲームが成立するというものを削除していく。
最後に残ったものが「ゲーム性」(という考え方)
例として以下を見て欲しい。
これは有名なPC-6001mk2版のスペースハリアーだ。
敵の殆どが四角いブロックで表現される。
実際は音楽もあるし、ゲームには無関係の背景のスクロールはあるし、ハリアー自身はグラフィックで書かれているが、アーケード版とくらべると多くの物が削ぎ落されている事が解るだろう。
だが、ゲームとして面白く成立している。
スト2をゲーム性だけ抽出するとこう。

当たり判定と必要情報だけにしてみた。(本物の当たり判定は多分これより荒くとっていると思う)
当然コレでゲームとして成立する。
ただし、グラフィックはそのあたり判定の動きに意味を持たせているし、わかりやすく理解させる力を持っている。それを抜いては面白さは減る。
たとえばトランプの大富豪は純粋に数字だけのゲームだが、あれに庶民、富豪、革命を見るから解りやすいし、感情移入が出来る。
音楽はゲーム性か。違う。
ストーリーはゲーム性か。違う。
グラフィックはゲーム性か。違う。
しかし面白いかどうかはソレとは関係がない。
そしてこれはあくまでも「狭義のゲーム性」の話。
■ランダムと計算ずくの間
自分が良く書く言葉に、
ゲームは「ランダム過ぎると博打」「計算ずくなら作業」その間にあるのが「ゲーム性」
というものがある。
これは、ここまで書いて来た「ゲームからゲーム以外のものを全て削ぎ取ってルールだけにしたもの」というアプローチの先になる。
ゲームのルールの中での取りえる選択肢のバリエーション量、言いかえるとリスクとリーターンのバリエーション量を、ゲーム性の評価基準として解りやすく考えてみようというものだ。
例えばテトリスは、一度設置したブロックが地形となって次の出題の一部となる。
1度きりの図形パズルでなく地形をプレイヤーがコントロールする長期のゲーム性が用意されている。
、どこにはめるかの短期のゲーム性と、素早く落下するブロックを制御できるかというアクション要素の組み合わせにより、出題と解答のバリエーションが多く、リスクとリターンの種類が多い。
シンプルなルールで高いゲーム性を内包していると言える。
ではもっとゲーム性を高めたらどうなるか。
さらに出題のバリエーション、解答のバリエーションを増やすとどうなるか。
降って来るピースの色、形、を莫大に増やし、ボーナスピースを追加し、消えかたも複雑にし、連鎖を組み込み、点数計算をトリッキーにし、お邪魔ブロックを導入し、なんならパズドラのようにパズルの外にもゲーム性を用意する。
そういう方向性もあるだろうが、それが面白いかどうかはまた別の話だ。
というか、つまらないだろう。“丁度よさ”が必要だ。
バリエーションが人間にコントロール出来る範囲を超えて増えると、むしろランダムに見える。
バリエーションの差異が大きくゲームに影響しないなら、作業に感じる。
狙って起こせない連鎖は、ゲーム性でなく運の領域になってしまう。
狙って出せない必殺技は、運の領域か、そもそもプレイ選択肢に入らない。
どの選択でもいい選択肢ならば、ボタン押しゲーと変わらない。
そして、この丁度いいゲーム性というのは個人によって異なる。
個人の能力によって、リスクとリターンの丁度良さは異なってしまう。
だからゲーム性が高い低いを、良いゲームの基準として使うのは間違っている。
RPGやソーシャルゲームが、ゲーム性を下げることで、多くの人に受け入れられたように良し悪しはターゲットによって異なる。
またゲームの難度と混同しやすいが、ゲームのルールの難度、ゲームのルールの整合性のほうが近しい。
■ビデオゲームを構成する3つの要素
ビデオゲームは「システム」「フレーバー」「ボリューム」で構成される。
「システム」と「フレーバー」は車の両輪で、その車の荷台に「ボリューム」を乗っけて上手く走ればゲームは完成する。
ちなみに片輪走行でも走る。
その中の「システム」のうち「ゲームのルール」に属する部分を「ゲーム性」とする。
「システム」はゲーム全体の仕組み。
今回のべている「狭義のゲーム性」はこのシステムの中「ルール」に該当する部分を指す。
上に示したような、最低限のゲームとしてのフレームを残したたものでゲームとして成立する。
「フレーバー」はゲームの雰囲気周辺をさす。ゲームを面白くする重要な要素。
トランプの大富豪の例は先に出した。
上に示したゲーム性だけのスト2はストイックではあるが商品価値を持たない。
インベーダーゲームも、敵も味方も四角形で表現したとしてゲームとしては成立するが物足りない。
テトリスのように四角形で成立するゲームですら、アーケード版は猿が踊るし、GB版ではロシア民謡が流れる。
ビデオゲームの隆盛においてこの「フレーバー」はとても重要。
ドットとラインだけでもそこにテニスを見ることができる。
超大作RPGなどはまずそのフレーバーがゲームの特徴として語られる。
ノベルゲームなどはシステムよりもフレーバーが商品価値を持つ。
ゲームの企画書を見る時に「世界観」が一番最初に語られているとゲンナリするが、重要である事は間違いない。
ただし、フレーバーだけではゲームとしては成立しない。
しかし、フレーバーだけで商品として成立する。
キャラクター商品のみが実体の世界観や、物語というのは世に多く有る。
たとえばアドベンチャーゲームなどはコスティキャンの定義に沿うとゲームではないがフレーバーの充実によって商品としては成立し、ヘタなゲームよりゲームとして売れている。
初音ミクやブラックロックシューターなどは、フレーバーが最大の商品でそれ以外は付属品的になっている。
「ボリューム」は、ゲームの物量。
全部で100面あるとか、総プレイ時間200時間であるとか、モンスターが151匹だとか。クエスト1000個とかそういったもの。
ボリューム自体はゲームではない。
しかし、ゲームが商品として成立するにはボリュームが必要である。
特に、ネトゲやソシャゲはユーザーに滞留してもらって初めてお金になるので、「面白かったがボリュームが少ない」ゲームが「つまらないがボリューム沢山」に利益で負ける事は多々ある。
コンシュマでも即中古に売られてしまうのを回避する為にボリュームが必要だ。
かつてボリュームが足りないゲームは難度を上げて総プレイ時間を延ばすという手法が選ばれたが、難しいゲームが嫌われやすい昨今、そういった舵切りは難しい。
■「狭義のゲーム性」というワードの有用性。
「ゲーム性」自体はすでにバズワード化したと思っているし、正しく何かを指し示す言葉ではないと思っている。このワードを使って書かれた文章は大抵ガッカリできる。この文章もそう。
ただ、それっぽいものを語ろうとすると、今回みたいな長文になってしまうので、有用な場合もある。
解っている人同士の会話では依然使えるワードでもあるのでその範囲ならばという考え
コスティキャンやカイヨワ以外にゲームを定義したメジャーな文章はそうは無いのだから、狭義のゲームを語るのにこの定義の延長を使う事に文句を言われる筋合いはないだろう。
むしろ、それから大きく外れた定義は「俺の考えたゲームの定義」に近しい。
実際「ゲーム性」という単語の扱いは面倒くさい。言葉狩りにも出会う。
自分が面白いと思うゲームが、ゲームではないと言われるのは楽しい気分ではないというのも理解できる。
例えば、シムシティはコスティキャンの分類ではトイであってゲームではないし、クイズもクイズであってゲームではない。アドベンチャーゲームやノベルゲームもこの分類ではゲーム外となる。
気に入らぬゲームを貶める為に「ゲーム性が低い」などと言う人が居たために話がややこしくなっている。
述べてきたように、狭義のゲーム性の高い低いの良し悪しなどは「単に好みを語っているだけ」で、なんら絶対的価値を示すものではない。
ゲームというジャンルにおいてゲーム性というワードでの括りでは印象が絶対指標的過ぎるというのはその通りだと思うので、自分はなるべく「狭義のゲーム性」という言い方をするし、忘れてゲーム性といった場合も狭義のゲーム性の意味で使っている。広義のゲーム性は広過ぎて何言ってるんだか解らない。
「狭義のゲーム性」に収まらないゲームは多く有る。多く有るけどだから、「狭義のゲーム性」というワードを使うなという意見には賛同できない。
、「狭義のゲーム性の話をする時には、狭義のゲーム性というワードが必要」なのだ。当てはまらぬゲームがあるからと言ってその言葉を使うなというのは面倒過ぎる。
そもそも当てはまらぬゲームを除外する為に使っている場合だってある。
狭義のゲーム性は、狭義の非ゲームを貶める為のワードでは無い。最近は「ゲーム性が高すぎるからこれはユーザーに刺さらない」といった風にネガティブにも使うワードでもある。
■まとめ
俺が「ゲーム性」「狭義のゲーム性」と言った時、それは何を意味しているかをまとめて書いた。
ちなみに、人が考える「ゲーム性」の定義を否定する気は全く無い。
だが、同様に俺の主張するゲーム性を否定されて「はいそうですか」と受け入れるには時間がかかる。
人は自分が蓄積したと思う分野程、考えを改めるのには時間がかかる。
昔、ガンダムはSFでは無い論争があった。
あるSF作家が「ガンダムはSFでは無い」と述べて、モメたというもの。
あの時の自分の意見はこうだった。
「ガンダムもSFだって言っておいたほうがSFにとっては有利だったろうに」
今のゲーム性議論も同じ事を思っている。
「ゲームを名乗る全てのゲームはゲームでいい。その方がゲームにとって有利だ」
その上で、分類として「ゲーム性」というワードは使えた方がいい。
「ガンダムは狭義のSFではない」
といわれれれば、「そうだね狭義のSFでは無いよね」と自分は納得が行く。
狭義のSF、サイエンスフィクションとしてのSFの定義はあったほうがいい。それを語るには必要なワードだ。
だがそれは、狭義の非SFを貶めるためのものであってはならない。
以上が自分の考え方。
それが納得いかない人もいるだろうし、それ自体は個人の考えで良いと思っている。
おまけ
長げぇ。
twitterなどで、短文で何かを言う時、バックボーンとして「俺が使う狭義のゲーム性とはこういう意味合いで言っている」というものをまとめておくのが目的だったが、やはり一度まとめないとダメな分量だった。
実際は断片で何度か語っているので、このblogを時々でも読んでくださってる人はわかってもらえると思う。
この長さの癖に、話が横道にそれたので、バッサリカットした箇所とかがある。
(「システム」「フレーバー」「ボリューム」の話は、ここから開発の技術論にいくし)
その辺はまたの機会に。
実際のところ、俺は人の意見を否定する気は特にない。1つの意見しか許さないのは宗教だし、自分とまったく同じ考えでないと許せないのは幼児性だ。パパやママでもないんだからそんなことを求めても仕方がない。
自分の考えが否定された時にはそれなりに。というレベル。
以上長文書きなぐり。後でてにをはや言い回し等を直す。
補足的追記
*1
スト2のゲーム性抽出に関しては話の主軸ではないので流したが、本来はもう少し詳しく説明せねばならない。
あの自分が図示したアタリ判定とパラメータ表示だけのスト2はゲーム性として必要十分ではない。
キャラクターによるアニメーションが、その攻撃の強さや、性能を想起させるものであるため、絵とゲームが切り離せない。
その意味でスペースハリアーが敵が四角でもゲームになるが、敵の形状がグラフィックでかかれたほうが「コイツがどう動くか」が瞬時に理解できるため、ここもゲーム性と絵が切り離せない。
同様に言えば音もそうだ。
これは、一部のFPSが「迷彩服を着ている敵が見つけ難い」のようなパラメータによるものでなく実際の人間の視覚によるゲーム性が導入されていて、絵とゲームがまったく切り離せない例とかも類似例。
実際、システムとフレーバーとボリュームは、パッキリ切り分けれるものではなく、ある程度ずつお互いの土俵に足を踏み込んでいる。
これを分けて考えるのはあくまでも便宜上のもの。
*2
いろいろと「狭義のゲーム性」以外の呼び方の提案をいただいたが、「**」「え?何ソレ?」「いや狭義のゲーム性のことを指してるんだけど」てな感じになりやすいのでどうにも。
一度メジャーなテキスト(コスティキャン)で分類されてるんだから、新しい言い換えがそれ以上にメジャーにならないと使い勝手が悪い(けっきょく説明が必要になる)というあたり。
自分が一番近いと感じる言い換えは「プレイヤーの習熟に関する要素」あたりになる。
これを使わない理由も、上と同じ伝わりにくさによる。(あと少しだけニュアンスが異なる。文章にするととても長文になるので避ける)
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