ソシャゲとか博打とか。
自己責任論の下に過消費を誘発する焼畑ビジネスモデルに明日は創れるか――ソーシャルゲームの何が問題か【前編】
 長い。
 ちょっと外れた話だが。

 ゲームと博打は決定的に違うということだけは描いておく。

 個人的な事を言えば、ソーシャル市場のおかげで俺はまだゴハンを食べることができているという立場ではあるから信憑性はないけどね。
 ちなみにパチンコの液晶とかのおかげでゲーム業界が食えてた事実もあるので博打をあんまりあーだこーだいうのもナニだけどね。

 話がそれた。もう一回。
 ゲームと博打は決定的に違うということだけは描いておく。

 ゲームはさ、基本的には射幸心なんてどこまで煽ってもそれだけで商売にはならないのね。
 ゲーム内のデータなんか、究極的には無価値だから。ソーシャルはそこに人間関係持ち込んだから多少の価値が発生したけどそれだって基本無価値。
 無価値なものに価値をつけるってのは本当に至難の業なのでそれはそれでリスペクトしている。
 モバマスだってあれの絵を俺が描いてちゃ買わんでしょう。ドラコレだってアレのルールがグダグダだったらやらぬでしょう。

 賭博というのは、お金が返ってくるんだから「無価値ではありえない」。
 ジャンケンだってコイントスだって金をかければ面白いんだよ。
 ゲームとして面白いんなら、ゲーセンのパチンコをやってればいい(俺はたまにやってた)。

 賭博と、ゲームの間にはそれだけの差がある。

 んで、今この瞬間にも真っ黒な賭博が大手を振って営業してるじゃん。
 三店方式なんて、裏カジノが真似したらパクられたわけよ。
 そういうところにはあえて触れずに、今儲かってるからってソシャゲだけをアレは博打だってたたくのは片手落ちだわ。
 むしろ叩いていいから、ちゃんと博打も叩け。


 ココでさらに話をはずす。

 基本的に規制は嫌いなんだけど。
 誰も彼もが自由に商売をしていいなら一番儲かるのは詐欺と泥棒なわけだよ。元手がかからぬから。
 さすがにそれをやっちゃおしまいでしょってのは規制が必要になる。
 これは人にとよって違うから、エロマンガが規制されちゃったりもするんだけどさ。
 規制したい人としては、あれもそれをやっちゃおしまいでしょって類なんだろう。

 自分の視点では、どこから「それは無いわ」となるかを判断するなら「病気の人間」をカモにするのが一番だめだと思うのね。
 ギャンブル中毒というのは病気ですよ。れっきとした。
 アレは心の問題じゃない。むしろ心の問題ってのは物理的な話だ。セロトニンの分泌が足りないとかさ。

 どっちかといえば心の問題は決心一つで今にも関知すると思ってる人たちが居るのがびっくりだよ。

 そういうところを突く商売は、どこまでがセーフでどっからはアウトかってのはもっと常にみんなピリピリすべきだと感じる。
 老人を騙して高い商品買わせるのと、オレオレ詐欺の中間はどこで、どっからは罪じゃないんだ?ってさ。

 博打はもともと博打中毒になりやすい人ってのは体質的に居るって言うぜ。

 課金ガチャのレア率を売り上げ見ながら操作するとかは、黒いだろと思うんだ。
 パチンコやパチスロは白いトコ探すほうが難しいだろう。

 まぁそんな感じで。

 疲れ果ててるので、まとめずに口語調のママ終わる。


 ゲームと博打は決定的に違うが。
 同じように非難されるようなことがあるとすればどこか。ということをごにゃごにゃと書いたつもり。

2012/04/26(木) 01:13:50| 固定リンク|日記| トラックバック:0 | このエントリーを含むはてなブックマーク|
ワークエリア
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
COPYRIGHT © 2004 POWERED BY FC2 ALL RIGHTS RESERVED.